こんにちは。つぶあんです。
今回は、二重人格?とも思えるような人の態度について。
我が母をモデルに(笑)お送りいたします。
本当に言いたい事なのか、それともただの話のネタなのか
我が母は昔から外で私や家族の愚痴を吐く癖がある。
そしてそれが私の耳に入ることもしばしば。
これって結構ショックを受ける。
母の癖を知った以上、困ったことに隣近所に愚痴るのでお隣のおばちゃんとか私に対してちょっと変な態度に感じることがある。
かなり昔、まだ独身の頃の事だが、ご近所さんにお会いしたので挨拶をすると
「お姉ちゃん、お母さんの頼みちゃんと聞いてあげてね。」
と何の前置きも無くいきなり言われたことがある。
「え?何のことでしょう?」と聞いてはみたが、
「それはお母さんに聞いて。」と言うだけでなんだか気まずいし、私としては気持ち悪い嫌な感じ。
母の頼み事はほぼほぼ聞いているはずだし、何かあったら言ってねとこちらから声をかけているくらいなのに、なぜ赤の他人からそんなことを言われなくてはいけないのだろう?と言う想い。
そして、母にこの事をストレートに言うと、
「は?何?あの人そんなこと言ったの?本当に余計な人だね。」とだけ。
余計な人って・・・、その発端はあなたでしょう!
「仲良くしてるから何か愚痴のような話すのかもしれないけれど、どこから伝わってくるか分からないから私の耳に入ることがダメなら外で言わない方がいいんじゃない?」
しかも、自分が言ったのに相手が悪い人のような言い草。
そして結局は母のその件についての頼み事など分からないまま。
気まずい犯行現場
そう言う事があると愚痴の内容はともかく、我が母が隣近所に私の愚痴を吐いているという現実がショックで仕方がない。
昔からなので私が知らないだけで通り過ぎれば気にもしないのだが、庭で話している声が大きいので普通に聞こえる時は耳を塞ぎたくなることもある。
この記事を書いているのはつい最近もショックを受けたからなのだがどうしても慣れることのできない母の癖。
隣のおばちゃんが「あれ?お姉ちゃん今日休みなの?」と私の車を見て母に言う。
母が「今日は休みだよ。家にいるよ。」と答える。
ここまでならなんとも思わないごく普通の会話。
隣「本当は今日じゃなくて明日休んで欲しいんだよね?」
母「そうそう。本当はね」
隣「なかなか思うようにはならんわ」
母「ホント、難しいんだわ」
めちゃひそひそと話しているが、窓の近くで声が大きいので聞こえている。
?????
前から明日休んで欲しいって言ってたっけ?何か用事あったっけ?と頭の中でぐるぐる駆け巡る私の思考。
いや、間違いなく何も聞いてない。
休んで欲しい時は前もって言ってくれたら休めると母には前から言ってある。
そして、シフトも決まった時にすでにカレンダーに書き込みまでしてある。
母は慌てるような感じで急に話を変えて隣のおばちゃんもそれに応じて変な声のトーンになっていた。
そして会話を終え戻って来ると窓を開けたすぐそこに私が無言で座っていて、あからさまに気まずそうな態度になっている。
その姿が後ろめたさまで背負っているかのように見えてしまう私の想像力は膨らむ(笑)
その口!直ちに沈黙せよ
こんな時、いつもと変わらず愛想よくするよりもどうかと思って、聞こえてましたよという雰囲気を出し沈黙をしてみる。
私は日々ほとんど態度を変えないので何かしら伝わると思う。
過去にも母の言動が在らぬ誤解を生みうやむやなまま我が子が面倒な解釈をされて困った事もある。
もちろん母には何度もご近所に家族の愚痴を吐くのは誤解を招くからやめて欲しいと言って来た。
が、その時は何故か言った本人は他人のせいにする。
自分が蒔いた種なのに、母にはその種をついばみ飛び立った鳥が悪いのだ。
そんな風に言っても言っても治らない癖なのでどうしようもないが、言いたいことは直接本人に言うべきで、周りに言う事で事が大きくややこしくなると言う事を学習してもらいたい。
いや、母の事だから逆に私の愚痴をまた吐くのかもしれないがもうそこまでは面倒見切れない。
私の前では何も言わず伝えずして、赤の他人に娘がこうしてくれないああしてくれないなどと近所に愚痴られてもどうすることもできやしないのだ。
そして、こんな些細な事でショックを受けている自分も嫌なのだ。
自分も自分に沈黙してみようと思う。
そうそう。隣近所のおばちゃんたちの日常の会話なのだ。
母の性格は分かっている。
母は、かなりの八方美人である。
今で言うマウントをとりたがる人である。
そしてええかっこしいである。
あの人嫌いと言う人とでさえ話を合わしてしまうほどの仮面を持ち、近所の情報を得る達人かもしれない。
本当は母に一番沈黙してもらいたい。
親だから?子供だから?
自分に子供が生まれてから考え方も変化があり、親になって親の事も知ることができてきたのは良かったと思う。
小さな頃から進級や進学など何かある度に母にされてきた私に対しての「否定」も理解したいとは思わなかったけれど、理解もできる部分も少しは出てきたのは事実。
でも、いまだにこういうことがあると母は私の事が嫌いなんだなとさえ思ってしまう。
父は私が別居から離婚まで自立ができず家に戻った時、世間体がどうこう言いながらも、実際には私たち親子3人を「大丈夫。部屋もあるし金銭面も気にするな。」と生活を助けてくれた。
母は気持ちが狭いのか思い通りにならない孫をいつも叱ってばかりで、そこは父と正反対だった。
母を冷たい人だと実感したのは父が病気になってから。
2年の余命宣告を受けた時でさえ「あと2年の我慢」などと娘の前で平然と言い、亡くなるまで父の介護での愚痴を言い、亡くなってからも父への恨みを吐いてしまう人なのだ。
もちろん良い思い出も沢山あり、私が仕事で家を空ける間、子供を何処かへ連れて行ってくれたり電車が好きな長男のために新幹線を見に行ってくれたりしてくれたが、その良い思い出さえ悪い思い出が打ち消してしまう事がある。
外ではいい顔をし、家では人の悪口を言う。
何もかも母の思い通りにはいかなかったかもしれないが、それを子供や孫に向けるのはどうかな?と未だに理解ができない。
そう言えば、母からは愛情のある言葉はいまだにかけてもらったことは無い。
不思議なのは、母は自分の事を「私は誰よりも薄情だから」と言う言葉の裏で、お墓参りや人の死に関することには誰よりも熱心だ。
そんな母と私は今では一緒に生活をしている。
現実はこんなものかもしれない。
自分自身を傍から見て思うことは、どんな親の事でも子供は親の愛情が欲しいということにたどり着く。
それは日々の些細な一言でもいいのかもしれない。
逆を考えると、母に対し愛情を表現して行くようにするには実際大人になる努力も必要ではあるが、私なりに後悔しないよう行動したい。
私は我が子を守りたいし愛情を感じてもらえるように言葉をかけて行こうと母を見て学んだ気がする。
どんなことでも学べることはあるんだなと感じている今日この頃(o^―^o)
書くと本当に落ち着くからオススメ♪
つぶあん
コメント
書くと落ちつくってわかりすぎるほど分かります( /// ´ิϖ´ิ/// )
私の事を代弁してくれてありがとうと言いたいくらいです(^^♪
ココさん、書くと落ち着きますよね。そしてこうして読んで頂けて共感される方がいらっしゃって様々な形がありますが似た部分も多いんだなぁと感じています。自分だけじゃないんだと救われたり・・・。