こんにちは。ご無沙汰しております、つぶあんです。
今回は、老いた母の言動に今でも悩む娘の心境を吐露してみます。
口が達者で元気な80代の母
母はありがたいことにとても元気です。
口癖は「私」・・・とにかく自分が中心です。
いろいろありますが、自分の事をいつも主張する人で、私からみると逆に自分の事ばかり主張できる人生で幸せ者だと思います。
本当によくしゃべります。(笑)
体も健康で良くしゃべって元気で何より。
私も母がいてこそ外に出て働くこともでき、ありがたいと思います。
さて、困っているのはその口です。
テレビを観てるときは、自分の意見をテレビに向かって言っています。
ニュースキャスターに向かって「そんなこと分かってます」とか。
「遅い遅い何やってんの!」とか。
時事ニュースも良く知っているようで、私が母に挨拶すると母は挨拶の代わりに天気や今日のニュースを発するのが日常です。
挨拶に挨拶ができないと言う事を知った時に発達障害なんじゃね?と過去の事になんとなく理解ができたこともあり、最近ではその件については疑問も嫌な思いも少なくなりました。
「ただいま」と帰った時くらいは「おかえり~」と言って欲しいと思ってしまう気持ちが私にはまだまだあるんですけどね(笑)
それも儚い願いなのかも・・・。
ふさぎたくなる母の口
さて、母の様子をずっと見張ることはできません。
以前にも近所の方から急に
「お母さんを心配させないであげてね」
と言われたことがある私。
(内容は大したことではないのですが、何故か大げさに広まっていました。)
きっとこういう事を耳にした時点で、何処かで誰かに私の事を愚痴っている?と、受け止めてしまうのは自然な事だと思うのですが、そのわざわざ私に言ってくるその人もその人やなぁと思うのも正直なところ。
「もしかして、その情報源は母ですか?」
そう聞くようにしてみた。
「お母さんには、私から聞いたって言わないでね。」
「そうしたいところですが、明らかに誤解が多いのと母のそういう部分が非常に迷惑なので、そうもいかないです(笑)」
「あらそうなの?困ったわね」
しまったという表情のご近所さんにも釘を刺しつつ、
「大丈夫ですよ。
きっと誰と誰に話したかなんて本人も忘れてるほど話が変わってます。」
ユーモアたっぷりに茶化した言い方をしておく。
そういう人とのやり取りをして、
うーん、この人は、母を心配して私に打ち明けたのか?
それとも今後母の口から他人の家族の愚痴など聞きたくないから私に言ってきたのか?
と、いろいろ思いは駆け巡る。
「あのさ、こんなこと近所の人に言われたんだけど、何を言ったの?」
と素直に母に聞いてみる。
すると、途端に気まずくなったのか母の口からは
「またあの人、いらんこと言って!」
と、私の愚痴だったはずが、矛先が愚痴を聞いてくれた相手に変わる。
「違うでしょ。あの人に言わせてんの自分でしょ。
お母さんがまたこう言ってたって私がその人にそのまま伝えるかもよ。」
「はぁ?そんなの言わんでいい!」
「まず最初に始めたのはお母さんの口から。
だから近所の人を悪く言うのは違うよ。
でも、心配して私に言ってきたとしても大人なら他人のプライベートな事なんて聞いても黙ってるのが礼儀じゃない?
そもそも家族の愚痴を近所に言う意味が分からない。」
と、喧嘩になる。
とにかく、気まずいなら最初から他人に言うべきではない。
「言いたいことを言う相手は他人じゃなく、直接本人に言うべきでしょ。」
と結論を正論でぶつける。
「あんた、言っても聞く耳持たんがね!」
ああ言えばこう言うのね。
しかも話を作ってるし。
「え?いつ言った?
お母さんは歩み寄らないの?
自分の思い通りじゃないと逆切れするだけってどうなの?」
ここまで来ると今度は、母の無視が始まる。
何を言っても聞いても無視される。
私にとっては幼い頃から続いてきただけに慣れっこで、今では大人になって幼き子を見てる思い。
身内の事だけならまだしも、近所の行動時間も把握していて、それを事細かく別の近所に話す母を見た時は、よこから何か話しかけて、はぐらかしたい衝動に駆られる。
「お母さん、他人のプライベートな部分はペラペラしゃべらない方がいいと思うよ」
と一言でも言おうものなら途端に機嫌が悪くなるのでやってられない。
昔から娘ってこういう事で悩んでいる人多いみたい。
人の事は変えられないから自分が変わろうと思うけれど、変えたくなるのは母の口。
その娘はどうするべきか?
自分の知らないところで、自分の情報が人伝いに独り歩きをしだす現状を受け止めるにはどうしたらいいのか?
ましてや、普段関わりもしないから知る由もない近所の人がなぜか私の勤め先を知っている不思議。
そして、その勤め先に頻繁に来店している近所の人を発見した時、もしかして本当にいるかどうかチェックしに来ている?と気が付いたときの気持ち悪さ。
ここまで来ると恐怖なんですが、これはあくまで長年の積み重ねで生まれた私の曲がった受け止め方。・・・妄想かも。
と言う事を心配しつつ、
私は私、何も恥ずかしいことはしていないし人に迷惑もかけていないので、堂々としていればいいだけ。
いろんなことを噂されてもほとぼりは冷めるもので、実際に話している人種の事に左右されてもいないし興味も無いのは事実なので(笑)
眼中にない事を改めて自分の中で確認できました。
こうして人って一段階上がって行けるのだとしたら、私はかなりの年月修行を積んできたと思われます。
人の事より、自分よね。
自分を大切にすることの重要さと自分次第で見えてくるものが変わることの本質を再確認。
また一つ勉強になりました。
人の心は果てしない宇宙と同じですね。
きっかけになった本があります。
最近とても良い本を読みました。
「人生の結論」小池一夫著
50代後半になって分かったことも多いのですが、著者の小池和一夫さんは80代でこの本を書かれているので、この先私ももっと発見できる事があるんだなと楽しみです。
私がこの本を知った時には既にお亡くなりになられた後でとても残念ですが、名言も沢山ありますね。
『人の悪口を言うときは、心して言いなさい。「自分は、人の悪口を言うような人間である」と人に思われる覚悟を持って言いなさい。それでも、どうしても人の悪口を言うときは、ユーモアを忘れないこと』
小池一夫Twitter
本当にその通り。悪口って歩き出すと形を変えて曲がって大きくなり自分に戻って来る。
悪口と愚痴は背景が違う部分があるけれど、できれば言わない方が良い。
愚痴ではなく、事実を話して改善できる事柄であればマイナスがプラスに変わることだってある。
どうしてもの時はユーモアを忘れないとは粋な計らいなんだな。
誰のせいでもない
許そう。
あなたも許されているのだから
人生の結論/小池一夫 著
あの人のあれがここが許せないという気持ち、きっと人と人との間には生まれる感情だよね。
それって見方を変えれば何のためにそこが目に付くと思う?どうして今そこが気になるのだろう?
あの人の許せない部分が気になる様に、あなたは何を許してもらっているのか?そこに気が付くだろうか?
kindle本を読んだ後、又読み返したくなる一冊となり通常本の取り寄せをしました。
本はとても良いです。(語彙力無いですが(笑)
中学生の頃、初めて行った映画館。
映画を観終わった後とにかく感動して、何かはわからないけど、何か自分が変わったような気がして、周りの景色が変わったように見えた頃を思い出しました。
私は本は沢山読みますが、実際には途中で飽きてしまう本も半数は有ります。
そこはkindleの対象書籍が読み放題のunlimitedに登録して読みたいと思うタイトルをいくつもpickupしてあり、時間が足りないくらいです。
そんな中、全文において読み残すことなく読み、また機会を作って読み返したくなった本は久々です。
生涯を終える前にこんな風に未来の誰かの心に残る何かを語れるといいな。
今が一番若いその時を大切に時間を刻んでいけると良いですよね。
いよいよ今年も年の瀬です。
温かくしてお過ごしくださいね!
つぶあん
コメント
読み返したくなる記事です(^^)
ココさん こんにちは。
母が変わらないなら気にしない方が楽でした。