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無理にポジティブになろうすると返ってストレスだから「心の処方箋」を利用してみる

⁑自分ケア
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こんにちは。つぶあんです。

無理にポジティブになろうとするだけでストレス・・・って結局は逆効果

これは私の日々の母との闘いからも生まれます(笑)
今日は、そんな母とのあれこれを交えて私が学んだことの記事です。

今回の記事では、ちょっと母のわがままな部分がクローズアップされていますが、自分を棚に上げるつもりは全くありません。

私は母と日々仲良くやって行けるように細やかに気を遣いながら、穏やかに幸せな年月を重ねていきたいと常に思っています。

本来はお互いの歩み寄りが一番!(笑)

  

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母の不機嫌スイッチ

ある日、遊びに行った母が帰ってきたとき、玄関で「ただいまー。」と小さな声がする。
私は2階から「おかえり~」と大きな声で返事。

すると私の声が聞こえなかったのか、大きな声で「ただいまー!」とまた母が言う。
私はまた「うん。聞こえてるよ~。おかえりー!」と返す。

返事がないので玄関まで行くと姿が無かった。
その後、母はすぐに戻ってきたが、私は夕食の準備へキッチンへ向かい、西日が入るのでカーテンを閉めた。

すると「だから、こっちは閉めないのっ!」と、ぴしゃりと言いながら、私が閉めた方と反対側を閉める母。
ここではまだ気が付かなかった。
(あー、また母だけのルールに反したことを私がしたらしい。)



「今日はこれにするよ」と冷蔵庫を開けて話しかけると、
「・・・・・はいはい。どうぞ。お好きなように。」

文字では分かりませんが、かなりぶっきらぼうにトゲがある言い方の母。
なにやら母が一方的に私に向かってしゃべっていますがカリカリしてる模様。

なんだかちょっと機嫌が悪くない?と感じる。

「ねえ、さっきから言い方にとげがあるんだけど。何か怒ってる?」
「あー、そうだよ。怒ってるよっ!怒れてくるんだよ!」
「なんで?私、何か怒られるようなことした?・・・え?もしかしてカーテンの閉め方?」
「・・・足が痛い。」
「へ?」
「だから!足が痛いの!」⇦引っ込みつかなくなっている母

    

自分が悪くても謝らない

やり取りでは分かり得ないほど言葉は鋭くて、結局私は足が痛くて苛立っている母に当たり散らされていた。
(日常茶飯事なので慣れっこですが結構腹は立つ。)

もちろん、私は気分が悪い。
でも母は絶対に謝らないのは分かっている。
(逆は起きないので私の立場が分からない母。)

この母の急に不機嫌なスイッチが入るのは私がまだ幼少時、気付いた時からずっとあること。
小さな頃は何故怒られているのか分からずに自分が悪いことをしたんだと思って、いつ怒られるのかとビクビクしていた。

大人になった今では、機嫌が悪くて当たり散らしてると分かるように。
そう。何度もあるので学んだだけ。

その時点ではひとまず、
「つまり、今お母さんは機嫌が悪くて、私は八つ当たりされてるんだね?」
と、面と向かって言うことにした。

もちろん、全くその通りなので言い返すこともしませんが大抵はぐらかす母。
「足が痛い、足がすごく痛い」と言い続けている。

ちなみにこの足が痛いのは、遊びに行っていっぱい歩いたからなので仕方ない。(笑)



母は私に自由に使っていいと口では言うのに、キッチンの物を触る度、「それは違う」とか、「これはこうだ」とか口出しは止まらない。

ごくごく些細なことまで全て母の真似をしないと、あまりに細かく言われるので、さすがに無理と「それならもう一切触らない!」と大喧嘩をして、2階に小さな料理スペースをカラーボックスを使って自分で作ったほど。

私が男で嫁を貰う立場で同居だったら、きっとお嫁さんメンタルやられちゃうなと常々思っていた。

ちなみに、妹が帰ってきたときも同じように怒ってばかりだった。
今では、妹は帰ってきても触らずに上げ膳据え膳状態。
あいつ賢いな。(笑)

   

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無理にポジティブにはなれない

冷静になろうとするけど・・・

そうなんです。
あんな態度取られると気分悪いからね。
そんなの無理無理。
しかも、ポジティブって言葉も実は嫌いだったりする。

いい人にもなれないし、大人にもなれない。
そんな時は無理しなくていい。

そう。自分の気持ちに嘘は付けないし、付きたくない。
自分を押し殺してまで我慢するのって逆効果になる。

そっと、その場を離れる。
何年経っても、まだまだ修行が足りないので時間が必要だ。

 

そんな風に考えて、自分を外側から見つめてみようとちょっと振り返ってみる。
ひとつの事で多くを学べるのはこういう時だから。

  

ごめんね・ありがとう

大人になると、「ごめんね」「ありがとう」が言えない人が多い。
でもその反面、「ごめんね」って言う言葉よりも「ありがとう」って言葉は言いやすいらしい。

母は、私と気まずかったであろうその時に突然話をすり替えて「ゴミ出しありがとう」と言った。

「ごめんね」は言えないけど、「ありがとう」って言葉で会話を続けようとした母の気まずさをふと感じたり。(笑)

そして、人が人に何かをしたときに、「~してもらってすいませんでした」とか、「~してもらってごめんなさい」とか言われるよりも、「~してくれてありがとう」と言われる方が嬉しく感じる。

この差は何だろうか。

でもね、あの時の母の「ありがとう」の使い方は、タイミングが全くとんちんかんで嬉しくもなんともなかった。
せっかくの「ありがとう」も嬉しくなくて残念過ぎるから使うタイミングは考えた方が良さそうだなんて考えてみる。

 

母親のACが子供に影響してしまう

このことが分かったのは最近次男に「僕が小さい頃のお母さんは、自分が悪くても言い訳をして謝らなかった。」と言われたのがきっかけ、振り返ると原因も分かってきた。

私は自分が嫌だったのに母と同じことをしていたのか?と、思ったが次男に聞くとそうではなかった。
母と違う所は、自分が悪いことをした理由をきちんと話す事と、機嫌が悪くても八つ当たりはしなかった事。

ただ、我が子から見たらお母さんである私が悪いのに、私自身が悪いと思ってなかった事があった事実を後で知り、「そうだったんだね、ごめんね」と謝るのが遅くなってしまった。

やみくもに私が子供を感情任せに怒ったなどと言う事は無く、そこまで矛盾は無かったと分かったので良かった。

そして、分かって理解できた時点で側面から見られるようになったのは大きな発見。
でも、ここまで来るのに時間がかかってしまったね。

今は、ちゃんと「ごめんね」と謝ることができたことも嬉しい。
お互いの許す・受け入れるという気持ちがまた関係を再開させてくれるのだ。

  

人間だもの

いつもいい人ではいられないし、心の中は自由でも、マイナス思考になってしまう事も多々あるけれど、

”にんげんだもの” 相田みつを と自分を許し、
”しあわせはいつも自分のこころがきめる” 相田みつを とニュートラルに戻す。

この言葉たちに凝縮されている。

そう。どんな自分でも愛せるのは自分自身だし、成長させられるのも自分ありき。

  

時間薬と言う処方箋を持っている

許す事ってなかなかできなかったりする。

昔の事をどんなに後悔しても過去には戻れないけれど、どうにもならないわけじゃない。
それを許し受け入れる気持ちを知った時点で必ず何かが変わっているのだ。

時間薬と言う自分の中にある処方箋のようなもの。

辛いことも糧に変化させることができる事もあるその処方箋は時には強さを育む。

それなら是非とも自分のためにその処方箋を使って欲しい。

人は頑張ることはできても、頑張りすぎると自分で知らないうちに壊れてしまう時を見極められない。

無理しすぎず、マイナスを無理やりポジティブにするのではなくて時間薬を使って自分を癒そう。

 

私と母の場合は、翌日、もしくは数時間後には普段通りに戻って、私がぽそっというちょっと笑える事に母がワハハと笑うスタンス。
お互いが笑ってしまえばこっちのもの。
これで、また新しい母との時間を重ねていく。

だって、楽しく過ごしたいじゃない?
言いたいことは言って、引っ込みつかなくなっても、本来はちゃんと謝る方がいい。
お互いを知っているのなら、相手の事をくみ取ることはできる。
そうして魂は育っていくよね。
私は個人的に、振り返って申し訳なかったという気持ちは残しておきたくない人なので、後味悪く残さないようにした方がいいかな(笑)
そして、自分に心地よいことを選んで生きるのだ。

  

  

まとめ

無理にポジティブになろうとするのは逆効果という事を書いて来ました。

いつもの事ながら、私の経験上で行きついた自分の癒す考え方みたいなものですが、

学問上にある何かしらの統計で出たデータに基づいたものではなく、あの人にはあの人に合った方法、この人にはこの人 と言うように、人の数だけ環境も違うし成長も違うのです。

そんな時に、あ、なんとなく受け入れやすいみたいな感覚で何かのヒントになったら嬉しいです。

 

名言も好きでよく読みます。
いいこと言う!と思って読んだ日もあれば、そんなことないと同じ名言に向かって思う事さえあるものです。

心は波のように行ったり来たりしますものね。

  

つぶあん

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