こんにちは。つぶあんです。
人生にいろいろな事が起きて、悪いことが起きると「因果応報」と言う言葉をよく聞くと思います。
因果応報って自分なりになんとなく解釈してるつもりだけど、本当は何?
実際に目に見えなくて感じる事なので、スピリチュアルの観点も含まるのでしょうね。
ぶっちゃけ私自身も最初はこの言葉自体にちょっと嫌な感じするよねという気持ちもありつつ・・・、ところが実際は?
今回はそんな言葉「因果応報」について考え紐解いていきます。
因果応報と輪廻転生の関わり
仏教用語で原因が結果を招くというような意味合いです。
因果応報[インガオウホウ]
ブリタニカ国際大百科事典より
仏教用語。原因としての善い行いをすれば、善い結果が得られ、悪い行いは悪い結果をもたらすとする。善因善果、悪因悪果、三世因果などと表現される。
引用から分かる通りですが、ここに「自分の、」と当てはめて考えてみるとより現実味が出てきます。
自分に起きている結果にはすべて原因が伴うという奥の深さを持つ言葉です。
「善因善果」 善い行いをすれば善いことが果報として戻って来る。
「悪因悪果」 悪い行いをすれば悪いこととして戻って来る。
「三世因果」 過去・現在・未来と続くという事で、前世・今世・来世にわたる。
今起きていることは前世からの影響
今世以前の前世からの「自分の行ってきたこと」を生まれ変わっても尚影響を受け続けるという魂の根本の問題と言う事。
なので、なにかひどい目に遭った時に前世の行いが悪かったから今世に結果として現れるという事でよく使われる言葉ですね。でも、現実は辛い時になかなかそうは思えないし思いたくないのが本心。
よく考えてみれば、悪口を言ったりいじめをしたりすれば、自ら未来の自分にしている事になるわけで。自分のした悪いことは、どこかで反省すべき時が必ず来るという事になります。
悪い行いをすれば自分に悪いことが戻って来るし、善い行いをすれば自分に果報となって表れるという事は変わらないサイクル。
カルマ
カルマとは、結果をもたらす・行動・言葉・思いの事で、業(ごう)とも言います。
前世でつながりがあった人とのカルマが解決していないときは、今世でまた出会ってその解消に努める出来事が必ず起きる。
重いカルマを消す出来事が、事件や事故などによって起きるともあり、現実では致し方ないとは思えるはずもなく怖いことです。
辛い出来事が前世の行いによって起きているのだとしたら、この先の未来や来世で幸せになるためにはどうしたらいいのか考えてしまいますね。
ただし、どんな形でどんな風に戻って来るのかは分かりません。自分自身に直接何かが起きるとも限らないのです。
それが、精神的感情に与える影響として戻って来るという解釈ができ、それがいわゆるカルマの消化にあたります。
結局は自分の都合で、過去、現在、未来を考えるのでは無く、全ての自分は繋がっていると言うこと。
カルマが解消されたら、人生は好転するので解消するためにも良いことをして徳を積みなさいと言うのが仏教の教えなのですね。
完全な仏教徒でなくても理解ができるというのは、日本人の心にそこはかとなく宿っているからなのでは?
悪い事より善いことに意識を持つ
悪いことに対しての表現が多いですが、善い事にも当てはまること。
一般的な使われ方がそうなってしまっているのも、人の記憶が悪いことの印象が強く心とらわれやすいから。
いんがおうほう【因果応報】
広辞苑より
〔仏〕過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること。
現在の業(カルマ)に応じて、 未来の果報を生ずる
↑分かり易いですね。
生きている今に集中して、出来ることをしたら善いだけ。ただそれだけ。
ある意味「引き寄せ」
因果応報で言うカルマとは、行動・言葉・思い の3つと先に書いてきました。
善い行動をし、善い言葉を使い、善い思いでいる。
是非、現在の人生で善い因果応報のサイクルを知って自分を幸せにしてあげて下さい。引き寄せよりも分かり易くて行動にしやすいかも。
自分の魂レベルの問題にかかわってくるだなんて、未来がちょっと楽しみになってくる。
人は死んだら終わりでは無く、魂は繋がっていると言う考えの元、生まれ変わる前に自分でしてきたことを受け入れ新しい人生で起きる事を決めてまた進む。
受け止めるかどうかは自分次第、気付きにより自分の人生の考え方が変わるのも事実ですね。
自分が楽しめるのが1番だと私は思います。
善いことのエネルギーは大きい
そして、善いことのエネルギーは大きいと言います。
確かに、人に親切にすると「ありがとう!」と言う言葉が聞けます。
まぁ、たまに言わない人もいますが(笑)そういう人は損してるようで逆に勿体ない。
そして、「ありがとう」のパワー、感謝の気持ちは仏教ならずとも実感し易いと思います。
それを説明するとしたら、 分かりやすいのは自分の中に嬉しいと言う感情が生まれるから。
大事なことは、口先だけじゃなく気持ち。
・・・なのですが、脳科学から言うと、脳は騙されてくれます。
口角が上がるだけ、上を向くだけ、嬉しいことを考えるだけなら脳にお任せ。
気持ちは自分で作れるのが脳のありがたいところ。
話を戻して、善い行いは、こっそりするとなお良いとされるのです。
「ほら見て!褒めて!ありがとうって言って!」の承認欲求が伴う行動より、そっと人知れずに善いことをしていることほど強いエネルギーになる不思議。
なぜなら、それが本来の善い行いだから。
因果応報で未来が変わる・変えられる
ここまで書いてきて分かったことは、未来を変える力があるという希望。
未来と言っても、すぐかもしれないし、数年先かもしれないし、今世ではなく来世かもしれません。
因果応報はいつ自分にどんな形になって戻って来るのかは人知れず。
そして行動が無意識で当たり前になってしまえば、先は確実。
人は自分の行動で自分の未来を変えられるという事を教えている言葉だったと気付きました。
人が輪廻転生を繰り返し、魂を磨いているのだとしたら。
生きている間に起きる事には理由があるのだとしたら。
自分のできる事は自分の未来を作ることかもしれない。
余談で申し訳ないですが、ちょうど、先日つぶあん*ぶろぐの趣旨を書き直したばかりで、私自身は引き寄せた気分です。
まとめ
因果応報は、
善くも悪くも自分のした行動によって生じたカルマが、善いは善いこと悪いは悪いこととして自分に返ってくるサイクルということ。
そして、人は悪いことや過去にとらわれやすいということ。
人生で起きている事には前世でのカルマが含まれているということ。
更に過去にとらわれる事ばかりではなく、人は未来を変えることができるということ。
掘り下げていくといろんなことが思い浮かびます。
腑に落ちる事もあれば、落ちないこともあります。
今の身に起きている辛いことが過去のカルマから生まれただなんて思えないという気持ち。
ところが、当てはめれば全て説明はついてしまう。
それをどうとらえて自分のものにするか自分次第と言う仏教の基本の教えです。
本当に奥が深い因果応報。
今まで悪い意味で使っていたかもしれないけれど、これからは善い言葉としても覚えておくといいですよね。
長々と書きましたが、今日からでもすぐ始められる因果応報。
小さな事からコツコツと。
ちりも積もれば山となりますし。
コツは、善いことはこっそりね。(笑)
つぶあん
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