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悪口と愚痴は紙一重・気にすると飲み込まれてしまう罠だと思っておくといい

⁑自分ケア
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こんにちは。つぶあんです。

最近、私の脳内と言うか、考え方を確認のために書いている感じの内容が多くなっていますが、お許し下され。・・・され?

今回は、友達が悪口と愚痴を言う人たちに囲まれているというので考えてみたという記事です。

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悪口を言う人

この手の人は組織の中には大抵何処にでも存在していて、何故か傍からは不思議と人気があったりするように見える人もいる。

それだけ意見が言える人だという事だろうか。
それとも敵に回すと怖い存在だから誰も反論しないのだろうか。

表面から見ているだけで判断してはいけないけれど、誰かの悪口を言っているのが明らかな様子を見てしまうと、いつ自分が言われるかもしれないという思いも生まれるかもしれない。

ちょっとこの人とは距離を置こうと思ってしまう。

・・・が、それが擁護してくれるための誰かの悪口だったら、逆に優しいと感じてしまう事は大いにあると言うのが正直微妙なところ。    

更に、人から聞いた悪口を本人に伝えに来る人もいる。
悪意のある場合がほとんどだと思うが、中にはあの人はあなたの悪口言っているから付き合わない方がいいよと本気で心配して見るに見かねて親切心で言う場合さえある。←経験あり。

時と場合によって立場の違いによって見方が変わってしまう人の心。白黒の判断は難しい。

 

  

どうする?

では、またあの人言ってるよ。と言う人物に対してなら、「共感せず、同じ場所で聞かず、他に伝えず」で止めることはできるかもしれない。

それが自分に矛先が向いていたら、気分のいい物ではないが意味のある内容かどうかの判断はしてもいいと思う。そうしないとモヤモヤするし。

意味があり、まして非があるのなら悪口を言わせたことに対して謝ればいいし、意味が無いのなら無視するなり関わらないなりすればいいと思うが、なんせ、火のないところに煙は立たないというだけあってその後どのように悪口が独り歩きし始めるかは分からない。やぁねぇ。

気にすればするほど飲み込まれてしまうのが面倒なところ。

それが自分と仲の良い人なら尚更だ。
言ってほしくないし、聞きたくないしでモヤモヤするかもしれないし、逆に自分がそう思わせることもあるかもしれない。

 


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愚痴

悪口と愚痴って、境目は何だろう?
そんなことを考えてみたりする。単純にネガティブな発言が愚痴だろうか?

不思議な事に、私の電子辞書には悪口は意味が載っていなくて愚痴は意味が載っていた。

ぐ-ち【愚痴】
①〔仏〕理非のくべつのつかないおろかさ。「ー邪見」
②言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。「ーをこぼす」「ーを聞いてやる」

広辞苑より

  

他にも、言っても仕方ないことをくどくど言うなどと書かれていた。

そして、ここまで来たら分かったと思うが愚痴って言葉は、なんと仏教用語!(え?知ってた?)
そうです。仏教の教えだったのだ。

  

ぐ-ち【愚痴】(名・形動ナリ)
①《仏教語》「三毒(さんどく)」の一つ。鞭で(仏法の)道理をわきまえないこと。おろかなさま。「欲おほく、身を愛し、命を惜しめること、ひとへにー・なる故に」〈徒然・128〉
②益のない繰りごとを言ってなげくこと。「ああ又ーをならべて」〈歌舞伎・三世相錦繍文章〉

旺文社古語辞典より

このように書かれている。愚痴とは、道理をわきまえないおろかなことだそう。
そうなのか。ちょっと思っていたニュアンスとは違ってた。

  

※ちなみに英語で悪口を引くと、単語はなさそうです。

物によっては、中傷とありました。これが近い気がしますね。
口頭での中傷、slander、文書の場合は、libel  愚痴は、complaint


あれ?読み返したらここだけ急に「ですます調」になってしまったので戻します(笑)

 

そんなこと言っても

悪口や愚痴を吐かないとやってられないこともあって、共感できる者同士だと団結力が上がったりするのも、人は誰しも経験があるだろう。

逆に自分の中にしまって我慢ばかりするよりも、愚痴ぐらい吐き出しちゃえ!と思ったりする。

 

ただ、たまにその教えだったり何やらを見るたびに、悪口や愚痴を口にしたそのちょっとしたひと時が今後の自分の運勢を変えてしまうとしたら、どうだろう。
と、ここで少しでも嫌だと思うなら言わずに越したことはなさそうとなる。


それがこの↓前回書いた記事の因果応報に繋がる。

 

 

難しいよね。友達のように悪口も愚痴も日々言われ続けていたら、洗脳されるかもしれない。
だから、タイトルで書いた通り、飲み込まれてしまうかも知れない罠なのだ。

でも、だって、それは!これがこうだから、だから悪い!という事は、もちろん言いたいことはあるかもしれない。人間だもの。人間は煩悩の塊。

  

飲み込まれてしまったら

知らなければ気にしないのに耳に入って来てしまった悪口や愚痴に反応。

飲み込まれてまんまと罠にかかってしまう。

次はそれに対して、無意識に自ら口にしてしまう事もあるはず。
念を押すけど人間だもの。

はっと気付くこともあると思うけれど、そんな時は良い事を3倍行って無かったことにしようと私は思う。(実際は言わなかった事には出来ないが。)

あ。でも、決して嫌いな人の悪口を言って、「しまった!」と思ってもその人の良いことを3倍言うのは無理な話。だって嫌いだからね(笑)好きになるなんてもっと無理だし。

だから、そんな時は自分をフォローをすることにしている。

こんな悪口や愚痴を言ってしまった。言っちゃったことは引っ込まないし仕方がない。スッキリしたならまだいい。という自分への気づきで。

ただ自己嫌悪にまた陥る事もあるかも知れない。そういう影響力がある事はお忘れなく。

なので、一緒に罠にはめてしまった相手がいたなら、聞かせてしまった現実を受け入れて必ず相手にもフォローしよう。

その分善いことを3回くらいは意識しようという感じで。


善いこととは、人目に付かないことをこっそりとすることと以前にも書いてきた。
これは、私が言ったのではなく、教えとして忘れないように記してきたこと。


誰が捨てたのか分からない落ちているゴミを片付けておくとか。
ちょっとした寄付をするとか。
公衆のトイレをきれいにしておくとか。

そんなことで積み重ねていくと良いという教え。

  

気にしないのが強いけど

最強なのは気にしない事。できる事ならそうでありたい。

私は、会うたびに愚痴る友達とは疎遠になってしまった。そもそもその友は自分が愚痴りたいときだけ連絡してくるという事に気付いたからだ。

これが、愚痴も聞くけど、何でもない時の思いやりもあるというバランスの取れたお互い様だったなら私は構わないから今でも連絡を取り合っていたはず。

離れた結果、驚くほど私の世界が平和になった。気にしなくて良くなったから心が平和になったのだ。

愚痴って時には助けになる。だから吐いてもいいと私は思う。でも、愚痴ばかりでは駄目だとも思う。

 

仏教用語ではなく人間的な、心から捨てたい事は、ブラックホールに放り投げるイメージで吐き出して、又吸い込まれていくイメージで無くして行くのはどうだろう

心でしっかりイメージをしてスッキリした気分を味わうといい

 

まとめ

悪口と愚痴は紙一重になり得ることも多いので、今回は微妙な違いも考えながら、ちょっとでも楽に考えられるようにと書いて来ました。

なかなかそんな風には考えられないかもしれない。

ただこうする事でモヤモヤした自分が楽になれた私の経験から。

心が軽くなるかもしれない考え方の一つ。

 

人はみな違います。
こういう事も受け入れたくなければ、受け入れる必要は無いのです。
人の数だけ考え方はありますからね。

 

今日もどこかで知らないところで生きているあなたへ。

またこんなことをつぶあんが言っていました。(笑)

  

つぶあん

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