60代になりました。 自分癒しを綴りつつ、無理なく痩せたdiet記録 も♪ ※当サイトは、アフィリエイト広告を掲載しています。

【不登校経験記その3】過ぎる時間と、できる事を探した日々

⁑不登校経験
⁑不登校経験
スポンサーリンク

次男の不登校からの日々を綴っている経験談 第3回目です。

この経験が誰かのお役に立てたら幸いです。

第1回目はこちら

第2回目はこちら

スポンサーリンク

ようやく


まず、次男がどうしたいのかではあるけれど、まだ高校一年生という事。

未経験の未来が分かるわけもなく、私はいろいろな選択肢を調べては次男にさり気なく話すことを繰り返す。

それでも、

「それ以上は言わないで」

と言う日も多かったので、とにかく急かさないを意識していました。

急されてると思ってますます遠回りになってしまうといけないと思ってちゃんと話しました。

「お母さんは焦ってない。ごめんねそう聞こえるよね。

でも全然そうじゃなくて、同級生と同じタイミングで進める方法がないかって探してみただけ。

気にせず自分のペースで進めばいいよ。」

一度だけそんな風に話した気がします。

そして微妙ですが、深刻にならず軽いノリで。

ある時、次男から聞いてきました。

「高校は出ておいた方がいいのかな。」

それがきっかけで話が進みました。

「大学や専門学校へ進みたいなら高卒認定でもいいんだよ。

それとも、時間かかっても全然いいから高校は卒業しておく?」

「卒業できる方がもちろんいいとは思うけど、でも、僕、学校はきっと通えない。」

次男と私が考えているときに、母が「今の世の中、履歴書に書けるから高卒のがいいと思う。」とポツリ。

その頃には、母もなんとか分かろうとしてくれていました。

時々口が出てしまうのはご愛敬だからと次男にも言い聞かせていましたけど、母(祖母)と孫の対決は我が家は永遠の物みたいです。

次男と私との話し合いの結果、出した答えはこうでした。

高校の卒業は今後のために必要と考えている。でも、学校へは通えない。

この二つが実現できる通信高校を選ぼう。

自宅からなんとか行ける場所に条件の揃った通信高校を分厚い冊子から見つけました。

通学は不要。

ただし、年に数回だけ、合宿、又は登校が必須であるという通信高校。

説明を聞きに次男と二人で向かう事に。

事前に隅から隅までくまなく資料に目を通し、更に卒業生の声なるものまでしっかりと読みました。

大丈夫かもしれないと感じていた私。もうそこなら次男が伸び伸び勉強できると思っていました。

「時間かかってもいいから、あなたが説明を聞いて、先生との相性とか自分でどう思うかで決めたらいいよ。」

そしたら、意外にも次男は即決でした。

「ほかにもあるよ。ここでいいの?」

「ここで、じゃなくて、ここがいい。お母さんありがとう。」

「何言ってるの、そんなこと。でも、まず、一歩だね。」

後で聞くと、

「いい学校だと思ったし、自分の直感を信じた。この勢いのまま決めてしまった方が自分が変われると思った。」←次男談

ちょっと先に光が見えた気がしました。

スポンサーリンク

転校


その後は早かったです。

休学中の高校の手続きは、退学でなく転校に変わりました。

休んでいた期間が短かったため単位も減ることなく通信高校へ移行でした。

次男には、入学してすぐから登校する地下鉄で一緒になった仲良しの3人がいます。

転校が決まって一人一人がわざわざ会いに来てくれたようです。

3人とも次男の道を自分のことのように喜んでくれたと次男から聞きました。

高校の担任の先生も親切でした。

入学式と最初の懇談会くらいしかお会いする機会が無かったのに、急に休学になってからは頻繁に学校へ足を運ぶ日々。

スクールカウンセラーさんにもお世話になりました。

次男がようやくスクールカウンセラーさんに会えたのは、休学する前と転校が決まった時のその2回だけでした。

転校の報告をしに行った時の次男の顔を見てスクールカウンセラーさんは依然と全然違うとびっくりされていました。

「不登校になるとなかなか抜け出せなくなる。動くタイミングを逃す子もいる。」

そんなお話を聞いたと思います。

次男のはにかむ顔を見て良かったね良かったねと涙ぐまれていました。

次男が本当に良かったと思っていたのかは本人しか分かりません。

そして学校へ通わなくても高校生を続けられるという事が現実になって。

タブレットを購入しなくてはいけないと分かった時も、自分の貯金で買う!と家電店に行って詳しく私に説明してくれました。

そんな次男を横目に、まさか、我が子が不登校になるなんて夢にも思わなかったけど、今こうして生きてくれている。

その気持ちは揺るがず嬉しい日でした。

新たなスタート

そして、通信高校に転校手続きが済み勉強が始まりました。

次男と私が選んだ通信高校は、タブレットとスマホで学習するやり方で単位が取れるまで何度でも動画を観ることができる。

ちなみに、通信高校にはいろんな年代の方が在籍していらっしゃいます。

それぞれ事情があって高校を卒業するために入学しているので次男のような場合も含め、県外の遠方の方もいらっしゃいました。

専門的な科目は選びませんでしたが、次男の希望は一般教養的な学習でした。

タイミングが良かったのか、特に何も問題ありませんでした。

復習事項で2学期の初めから確認と言う意味でいきなりテストからだったような・・・。

最初から入学という単位の取り方が発生する人もいますが、次男は1学期は済んでいたので休学期間は数えずに2学期の12月からはじまりでした。※すみませんうろ覚えです。

それでも、通信高校を選んだから終わりではない日々が待っています。

次男の様子は日々変わりました。

調子の悪い日ばかりではなく良い日もありました。

もう一度笑顔が見たい

2月になる頃、私は意を決して仕事を辞めました。

少しでも次男のそばにいたかったからです。

小さいころからずっと仕事をしていて朝と夜しか家にいない。アパレル業なので土日も仕事でした。

職場にも次男のことは話していました。

実際には先生から退学の話を受けた時から退職を頭に入れていました。

年末年始に辞めると困ると分かっていたのでやめると言い出せず、こんな時にまでなんで私は仕事なんだ!と、自分に問いました。

どっちが大切なの?と。

でも、生活するためにはお金が必要です。長男は大学生、次男は高校生。辞められるわけがないと思っていて動けなかった。

でも、私は実家暮らし。生活にお金はいるけれど家賃はいらない。住める家があれば何とか生きていける。

考えるより先に閑散期に入る頃辞めさせてくださいと言っていました。

何とか貯金でしのいで経済的には母には甘えなかったけれど、私の決意を受け入れてくれて本当に感謝です。

もう、年齢とか転職とかどうでもよかった。

そのくらい必死だったと思います。

私は次男の心からの笑顔がもう一度見たい。

思いはそれだけでした。

それから次男と精神科へ通う日々が続いていました。

もう一度1年生


もうすぐ春になろうとしていました。

仕事を辞めて毎日次男の様子を見ながらの日々。

通信の勉強もはかどっているようでした。

決まった時間に授業を受ける形態ではないので、好きな時間に決まった分勉強してタブレットでレポートをする。

そのレポートの提出で単位が決まる。そんな感じ。すみませんざっくりで。(;^_^A

ずっと母親が家にいる。

こんなことは今まで無かったので次男は嬉しかったようです。私が言うのもなんだけど、次男はお母さんっこじゃないかなと思う。

長男もその時大学1年生で日によっては家にいたこともあり、家族で時間があるなんて初めてなので一緒にあちこち行ったりしていました。

作業療法

精神科の診察は週に一回でしたが、高校が通信に変わったのならずっと家にいるだけよりも活動した方がいいと、

担当医の勧めで治療の一環として車で30分程の病院の作業療法士さんの元へ通うことに。


【作業療法】
と言うものでした。何と言うか心のリハビリ?

そこでは、いろいろな事を学べます。

作業療法室にあるものは何でも使っていいという事でしたので、習い事のような感覚で楽しんで通うようになりました。

はじめは、ギター。それから革細工。切り絵。ダンス。意欲がわいてくるようです。

私は初めの一日だけ体験で見学できましたが、次からは一人で。その先の目標は一人で通うでした。

環境がガラッと変わって次男に笑顔が戻りつつあったと思います。

つづく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました