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【不登校経験記その2】もがく気持ちと心療内科通院

⁑不登校経験
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続きです。我が家の次男が不登校になった経験談第2回目です。

この経験が誰かのお役に立てたら幸いです。

第1回目はこちらからどうぞ

1週間後に心療内科の診察を控え、その間にスクールカウンセラーの方に会いに行きました。

スクールカウンセラーさんは、次男の様子を事細かに聞いてくれました。

アドバイスなどではなく、とにかく次男がどうしたいのかそっと寄り添ってあげて欲しい。

そんな感じだった気がします。

その後も何度か機会を設けてくれ、最終的に次男も一緒にスクールカウンセラーさんに会える日までそれは続きました。

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心療内科へ


心療内科へも通院が始まりました。

カウンセリングでは、親も一緒に診察室へ入って次男が話す横でじっと聞いているだけ。

ところどころ、いじめの話が出て

「母が学校へ行けというので仕方なく行くしかなかった。」

という言葉が突き刺さり、いじめの日々を思い出す辛い時間。

次男の思いのたけを吐き出す姿に心が痛み、いじめに対抗できず悔しかった、

次男を追い詰めていたと反省、私は間違っていたのかなという思い。

そして、学校へ行けなくなったのは・・、本当は私のせいなのかな・・・という気持ちに。

カウンセリングで中学の時のいじめが原因だと次男は思っているというけれど・・、

でも、吐き出してくれている事実が目の前にあり、前に進むことができているはずと自分に言い聞かせていました。

ただ、中学の時の担任の先生が

「私が必ず守りますから。お母さんは毎日きちんと送り出してください。」

と言ってくれていた事や、知らなかったことを知ったようで、次男と私の思っていたことと現実とが食い違っていたようです。

それが、カウンセリングで次男と私がお互いに分かった真実でした。

逃げたかった現実と向き合い、見えていただけではないことの裏側を知り、結果としては良かった
と、今となってはそう思えます。

通院を初めて

その後週に一度通院して徐々に分ってきた事こと。

いじめ自体は終わっているけれど、次男の心にはしっかりと根を下ろしていること。

いじめとは無関係の場所で辛くなっているという事。

学校以外で同じような症状が出る場所や出る時はないか?

何かが見えたり聞こえたりしないか?

学校だけでは無く、人の多い地下鉄でも同じ症状が有り苦痛を感じている様子。

「適応障害・社会不安障害などに近いけど、断定はできない。」

とその時は言われましたが、心理テストや他にもいくつかテストをしたと思います。

こだわりが強い・一つのことに執着する・正義感が強いなどなど。

覚えていることは少ないですが、そこで発達障害があることが分かりました。

心療内科へ行っても根本的なこれ!というようなピンポイントな原因は分かりません。

こういったことは時間がかかるそうです。

先生には何度も

「焦らなくていいんだよ。ちゃんと良くなるから。」

と言われました。

不登校

とうとう9月後半には確実に学校へ行けなくなり、私は仕事の日々が続いていきました。

家に帰ると次男がその日の話をしてくれ一切口をきかないという事は無かったのが救い。

真っ暗な部屋で自分の世界に閉じこもっているという事は多くあり、私を察してか「これが安心なんだ」と言うのです。

そして、好きだったゲームもしなくなりました。「飽きたから」と。

その他は絵を描いていました。

ただ、描いている絵はちょっと怖い雰囲気の物で、ここで言葉にはできませんが同じ絵を何枚も見た時はぎょっとしたほどです。

見守ることしかできないでいる時間は本当に長く感じていました。

でも、もう腹を決めたつもりで

「全然いいよ。学校なんて行かなくても。お母さんが元気だから。」

なんて意味の分からない励まし方をして

「分かってる。このままじゃダメだけど今は何もできない。」

分かっていたことは、生きていてくれてるってことでした。

12月に入る前の頃のこと。先生からお知らせがありました。

「このまま籍を置いていても学費だけはかかります。大丈夫ですか?」

先生も結論を思い切って切り出し、

「学校をやめるように手続きしませんか?」と。

先生、慣れてるんでしょうね。

はっきり覚えていないのですごく薄情に聞こえるかもしれませんが、

こうなるまでに何度も話をしてくださり選択肢も探せるようにヒントもいただてます。

ただ、学校側は動けないので次男と私がどう行動するか。それだけです。

「そうですね。このまま学校へ行けないと無駄になってしまいますね。分かりました。少し時間をください。」

ひたすら考える日々


私も年末年始を控え繁忙期でした。

シングルマザーなのでずっと働いてきたけど、次男が苦しい時にそばにいてあげられない。それが悔しい。

次男は家にいればそこまで辛くはなさそうでしたが、

「消えてしまいたい」

と口にしたりして、仕事に行ってる間に何か起きたらどうしようと心配で毎日が本当に不安で気持ちが行ったり来たり。

それでも、私は学校へ行けなくなった時、次男が倒れて動けなくなったのを目の当たりにして、

学校なんて行けなくてもいいから生きていてくれればいいとその時はそれだけが本心でした。

高校生の息子を抱きしめて、朝から一緒になって号泣していました。

号泣しているタイミングに先生から電話があったりもしましたが、先生も本当に優しい方で救われました。

普通が当たり前として育った我が家の中で分かってもらえないであろう考え方でしたが、高校なんてどうにでもなるから大丈夫と言う思いが私の選択肢。

私の母はそういう事が全く分からない人で、相談をすると

「せっかく入った高校を中退するなんて!」

とそこで話がいつも止まってしまう。

「じゃぁ、どうしたらいいの!?どうしろって言うの?」と、言い合い。

もう、心が折れそう。

次男のことは一番大事。

でも母の言うこともわかる。それでも母の言う世間一般が通らないことだってあるの。

「ここで今、母と言い合ったって時間の無駄だ!」

と割り切るしかない。

母も心配してる気持ちは同じなはず。

短い間に私の頭の中は考えて考えて考えまくって相当働いていたと思います。

学校へもスクールカウンセラーさんに会いに行き、次男の様子を話しつつ忙しい担任とも密に連絡してくださって今後のことを決めていく方向へ進んでいきました。

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今できることを探す

その時できることをしたらいいと、高校に行けなくなった時に同時進行で通信高校を調べていました。

ネットで検索しているときに資料を一括請求で送ってもらいました。

注意するべき点は、この一括請求というやり方は電話がじゃんじゃんかかってくるという事。

でも、実際にはそれが大変助かりました。

なぜなら一度にあちこちの通信高校からの電話があることで、疑問を全てぶつけることができるからです。

資料が届く前に電話もあったりしてその時期は仕事も忙しく本当に大変でしたけれど、どこの学校の先生もいろいろ詳しく教えて下さる方ばかりで良かったと思います。

ただ、次男に合う高校がなかなか見つけられず時間はかかりましたが諦められませんでした。

つづく・・・。

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