こんにちは。つぶあんです。
今回の記事は、今生きていること。
ドラマ「妻、小学生になる。」を観ていますか?
私は1話を逃して2話からの視聴なのですが、このドラマは、時々深読みしすぎてしまうほど考える気づきのヒントをくれ、すでにただのファンタジーでは無くなっている!
いつ何が起きても不思議ではない。
本当にそう。何が起こるか分からない。
ドラマの様に亡くなった魂が生まれ変わりで突然どこかの誰かの身体に憑依して現れるなんてことは無いと思うので、そこは置いておいて。最近生まれ変わりテーマの物が多い気がするのは何故?
実際に、思い残して旅立った魂が一度だけチャンスをもらい戻って来られたなら・・・。
残していった家族や大切な人に言えなかった事は全て伝えて、旅立った時にできなかった事を全てしたいだろう。
それを終えてまた旅立てたなら思い残すこともない。
そんなふうな見方をしながら。
別の側面からは、今自分は生きていて、万一急にその時が来たら思い残す事なく旅立てるのだろうか?と考えさせられる。
ちゃんと今を生きようと言う気持ちを起こさせてくれる、凄いドラマだと思う。
準備ができない突然の別れ。
それは、本当に突然やってきた。一昨年の3月。
新型コロナウィルスが騒ぎ出したかと思ったら、事後報告として我が家に飛び込んできた。
母の姉がコロナが原因で亡くなったのだ。
その年のお正月に会ったばかりの伯母はとても元気だった。
たった3か月後にそんな日が来るとは思うはずもない。
え?嘘!
近くに住んでいたとはいえ、年に1~2回ほどしか会わない関係だったため、私はいまだに実感がないまま。
母は、月に数回足を運んでいたのだが、コロナだからと、いとこの家さえ避けていた。
亡くなった実姉のことは、「流行りが好きだねぇ」などと冗談を交えて笑っていたが、心中は察することができない。
ただ、コロナが分かって3日目で亡くなったと知り、母は「姉にとって辛い時間が短く済んだことだけが幸い」と言っていた。
コロナ患者の濃厚接触者である いとこからの電話で、入院した後でコロナが分かり、そのまま回復を待っていたが、急に状態が悪化し人知れずベッドから落ちた状態で亡くなったんだそうだ。
いとこは死に目にも会えず、何もできないまま、後日ただ遺骨を受け取った。
伯母は、89歳と言う年齢で、高血圧が原因となりコロナに勝つことができなかった。
その伯母自身も数年前に息子を突然失っている。
穏やかな優しい伯母だったのにどうして?と思ったが、こんな風に突然の別れがやってくる時もある。
言われなくたって分かっている。
こんなことが私の脳内を駆け巡ったのは事実で、いろいろ考えすぎて悩んでいる今も、そんなことができる事でさえ幸せなのかもしれないと思ったりする。
これは人様々で「そんなこと人に言われなくたって分かってる。」というのが本音だろう。
けれど、悩む時間も一歩踏み出して行動する時間も、同じ時間を使うのなら、できるだけ使える時間で幸せになりたいと思うものだ。
Twitterあるあるで、眩しいツイートを見るたびに凹む時がある。
なんとなく過ぎていく時間。
止まっているような気になって置いてけぼりになった気がする心。
でも、誰も一緒に歩いていないし、追い越しても追い越されてもいなくて、ただひとりそこに自分がいるだけ。
自分を幸せにできるのも自分だと思う。
だから、あまり自分をいじめないようにしよう。
いつの間にか、Twitterって意味ある発言じゃないとダメになったのか?
フォロワー増やすため?
逆にそれが辛くなることさえある。
それは、その人の目的で変わるから、気にすることは無い。
と、自分の中に決着をつけて、そこにいる自分を演じているのかもしれないね。
SNSに魂奪われないように(笑)
今日一日だけの事を考える。
あるドラマで、今日一日を大切に生きようと言うセリフがある。
明日や先の事は考えず、今日できる事、今日したい事を全部やってみる。
会おうと思えばいつでも会えるからではなく、会いたい人には会いたい時に会いに行こう。
やってみたいことも同じくだ。
後から会っておけばよかった、やっておけばよかったと思う事が増えて行かないように。
今日一日できる事の全てをやってみると言うのはどうだろう。
同じ時間をどう過ごすかで人生の一日、一日が、とても濃い時間に生まれ変わるかもしれないね。
失ってから気付くことは良い思い出
不思議な事に失った時には、悪い思い出よりもいい思い出の方が心に浮かんできやすい。
人の脳に刻まれるのは自分にとって嫌ことの方が深いのにどうしてなのかな?
喪失感と言うものが思い出させる?
嫌な事もあったけど、良い事もあったな・・・と。
その人だったり、その時間だった、物質的な事だったり。
失う事はそれだけ心にぽっかり穴が開くという表現を用いることも多いほど、ショックだからなのかもしれない。
心残りは念として残る?
心残りと言う言葉があるけれど、その心残りが無いようにしておきたいものだ。
過去に戻れないから、なかなか難しいけれど。
その心残りがドラマになったのが、「妻、小学生になる。」じゃないのかな。
主人公の小学生になった妻の心残りが今を生きている人に伝わって、またその人たちを前に進ませ生きる力となる。
そして、妻が小学生になったがために、その小学生の母親にとっては、元々の自分の娘が消えてしまった原因が自分にあると過去を見つめ直すきっかけになり後悔する。
母親にとっては、娘のおびえた顔を見るたびに思い出すほど、ずっとずっと心残りだったのだ。
もちろんその母親も自分が親にそうされてきたと言う過去を背負っている。
小さな子供はどんな親でも無条件に受け入れている。
幼い時に抱えてしまった傷さえ、大人になるまで分からない人もいる。
その親がそれを知った時、大人になった今となってはどうすることもできない。
そして、たいていその親もそれ以上に傷を抱えて生きてきたのかもしれないと気付く。
ただ親を責めてしまう子供の時のままの自分と、大人になり理解したくないのに理解が出来る様になってしまった親になった自分がいて、親子はやっとお互いを見つめ合える機会をもらうのかもしれない。
まとめ
今、こうして発信している事。
いつも自分にも言い聞かせながらここにこうして書いている。
誰に言うわけでもなく、それでもどこかの誰かの心に響くかもしれないと信じて。
それと同時に「心のケア」を自分自身でできるように。
心は自由。
その心の中を自分の幸せで満たせたならどんなに良いでしょう。
人はそれがなかなかできずにいる。
何かにおびえ、苦しみ、辛いことを振り返り、自ら考え、思い出し、更に傷を深くしていく。
勿論考えたっていい。それらを少しだけ考えたら、今度は自分に優しく、楽しく、嬉しいことに時間を使ってあげて欲しい。
あなたの人生だから、あなたがもっと楽しめるように時間を使ってください。
そして、もちろん私も♪
つぶあん
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